祈ることが出来る

私の住む街でも五歳〜十一歳の子供へのワクチン接種が始まるようです。

本当に卑劣な奴らです。

自分で判断のできない子供にまで接種を勧めるなんて。

コロナワクチンを打ってしまった大人は、ある意味仕方がないと思います。これだけワクチンが危険だという情報があって、それでも自分の意志で打ったのだから。

しかし子供は違います。確実に親の意見に左右される。

息子の学校でも、たまにワクチンを打つ、打たないの話が友達同士で出るようですが、打てるようになったら打つ、と言っている子もいるようです。小学一年生です。

私の息子が行っていた幼稚園は親が介入することが多く、その分、親同士の交流も多くて、皆と親しくなりやすい環境にありました。当然、子どもたちに対しても親しみを持って接することができていて、妻はもちろんのこと、私も幼稚園で息子と同じだった歳の子は名前を全員覚えています。

幼稚園三年間、そして多くの子は同じ小学校で、プライベートでも一緒にハイキングに行ったりホームパーティをしたりしている家族も多く、親しくしているので、息子の友だちを他人のようには思えません。

だからこそ、余計にワクチンを打ってしまわないか心配になってしまいます。

我が家は妻もコロナワクチンに関しては私と同意見なので、絶対に打たせませんが、息子の友だちとなると、口出しができない。

相手が大人であれば、対個人として話もできますが、その子供となると、他人の家庭事情に口出しするような形になってしまうため、難しい。

本当に憤りを感じます。

私には祈ることしかできない。

そこまで考えていたら、ふと「祈ることしかできない」のではなくて「祈ることができるのだ」という思いが浮かびました。

私はRAPTブログに出会う前も陰謀論には興味があり、船瀬俊介などの医療系陰謀論の本も読んでいました。ですから、もしRAPTブログに出会っていなくても、おそらくワクチンの危険性については知っていて、ワクチンは打たなかったでしょう。そして家族にも打たせていなかったとは思います。

ただ、そこまでが限界だったでしょう。おそらく、人に打たないよう勧めるほどの確信も持てていなかったでしょうし、打ってしまった人に対して残念な気持ちになったとしても、どうすることもできなかった。

悪い奴らが存在し、自分たちに悪影響を及ぼしている、と知ることは重要だとは思いますが、たとえ知ったとしても、出来ることと言えば、せいぜい自分自身、そして家族をワクチンから守ることくらいです。

逆にそれらを仕掛けている奴らの存在が巨大だと知っているがゆえに、彼らに立ち向かって滅ぼすことなど到底無理だと考えていたことでしょう。

しかし、RAPTブログに出会っていたおかげで「祈ること」を学びました。そして自分にも祈りによって悪を滅ぼす行いができることを知りました。更に祈りによって願いが叶うことも。

自分にもできることがある。

自分は無力ではない。

そう信じて、実際にやってみることで、無力感に苛まれて、ただ落ち込むだけ、ということがなくなりました。

更に、こんな自分でも人々を救える行いができるかもしれない、という希望を抱きながら、正しい行いをしている思いの中、充実感に満ちた日々をおくることができています。

自分には祈ることができる。

そう言い聞かせて、今後も信仰生活を送っていきたいと思います。

#RAPTブログ #コロナワクチン

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